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ˆ TOP2006-10-29
日本クラシック音楽コンクール愛知本選
昨日、日本クラシック音楽コンクールの愛知本選に出ました。結果は、敗退。でも、手ごたえは感じたコンクールでした。
このコンクールの地方本選では各審査員が100点満点で採点し、最高点と最低点をカットした残りの平均点が80点以上なら全国大会に出場できます。79点なら入賞。
中部本選では審査員が3人なので、3人の審査員のうち2番目の点数が80点以上なら全国大会に進出となる。審査員は全国大会に推薦できるかどうかという観点で審査を行い推薦する人には80点以上を投じる。結局、審査員3人から80点以上の合格票を2票を集めた人が選出される、という選考に、実質上は収斂することになります。
入賞者と全国大会出場者の比率(入賞者に比べて全国大会出場者の数がずっと少ない)からも80点を境に得点分布が不連続となっていることが予想され、80点と79点の1点の差による合否判定が審査員に強く意識されているものと思われます。簡単に言うと、79点はたくさん付けるけど、80点以上は簡単にはやらない、という得点分布になっているはず。
愛知からはフルート部門で28人中3人全国大会へ進出しましたが、私は1票しか得られなかったので、敗退となりました。
とはいえ、感じている「手ごたえ」というのは、この1票を頂いたことにあります。3人の審査員が合格票をそれぞれ何票出したかを推測すると、おそらく1人3票、多くても4票しか出していないと思われます。その理由は以下によります。
同じ演奏をスキルを持った音楽家が審査するのですから、3人の審査員の合否判定はかなりの相関性を持っていると考えられます。ある審査員の合否判定と別の審査員の判定がまったくまちまちになる、などということはありえない。その相関係数を2/3(66.7%)と仮定します。1番の審査員が3人を合格と判断した場合、そのうち2人は2番の審査員からも合格とされる状況が、相関係数2/3です。3番の審査員とも同様な相関がありますので、1番の審査員に合格・2番の審査員に不合格と判断された受験者およびその逆の受験者が3番の審査員に合格と判断される確率も66.7%となります。すると、コンクールの合格者は3.33人となります。実際の合格者は3人ですから、ひとりの審査員当たりの合格票が3票前後という推測されることになります。(ちなみに、相関係数が0.7〜1の場合は強い相関がある、0.4〜0.7の間は中程度の相関、と表現されます。)
すなわち3人の審査員から与えられた合格票は、合計9票と予想されます。そのうち、3人の合格者が6〜9票は持っていることが分かっていますので、それ以外の受験者に与えられた合格票は、0〜3票と予想されることになります。そのうちの1票を頂いたのですから、かなり合格に近いところにいると考えられます。あくまでも、相関係数の仮定の上ですけどね。但し、2番目に評価してくれた審査員の点数が77点と入賞ラインに届いていませんから、審査員の意見が分かれる演奏であった、ということは言えます。
相変わらず練習時間は確保できず、練習不足は否めません。そんな中で評価をいただけた点を探すなら、それは「音」に求めるしかないでしょう。
ともあれ、合格へのハードルは決して高くないことが確認されました。今後何年か、励みとして楽しめそうです。来年はがんばります。
ˆ TOP2006-08-11
日本クラシック音楽コンクール三重予選
日本クラシック音楽コンクールの三重予選に出場しました。曲は昨年三重県フルートコンクールでもやった、C.シャミナーデのコンチェルティーノ。
54〜57小節目で譜めくりしなくてはならないのに、ピアノに完全に意識が向いていたため忘れてしまい、その2段下まで進んだところで気づきました。咄嗟にザーッと譜面を見渡して、69小節目にAの二分音符があるのを見つけてそこで右手でめくりました。やばかった。娘から「暗譜で吹いたら?」と勧められました。(汗)
今回の審査員は皆さん弦楽器の方だったのですが、その講評でも「暗譜の方が望ましいのでは」というご意見を頂戴しました。暗譜が出来ないわけではないですが、管楽器ではピアノや弦楽器に比べて暗譜が要求されることはあまりありません。
演奏の方は、相変わらずドタバタしていますが、苦しんでいる内容はちょっと変化してきたようです。
なお、予選は無事通過しました。本選はいつ出ようかな?
ˆ TOP2006-07-19
残念ながら、
毎年出場している三重県フルートコンクールが、今年は開催されないようです。大変残念です。
アマチュア演奏者に「フルート演奏における音楽性、演奏技術の向上を図る」機会を与えていただくというこのコンクールの趣旨に私は大賛成で、私は出場者の立場からこのコンクールがより盛大に、より高レベルに、よりコンペティティブになるようにと、毎年参加し続けています。このような機会を作ってくださる主催者や運営委員の方々に、改めて御礼申し上げます。
主催者の方に過大な負担を掛けてはならないと思いますが、私たちにとっては大変得がたい機会であることは間違いなく、すばらしい企画だと思うので、ぜひ来年は再開されますように、またより多くの愛好家が参加されますように、平にお願いする次第です。
あいかわらず左手
相変わらず、左手に苦しんでいる。左の4指がどうしても上がりたがらない。3月ぐらいまで割りと調子がよかったのに、海外出張の連続で元の木阿弥に陥ってしまった。
でも、ようやく改善の兆し。ポイントは、
- 首の左側面の脱力。
- 左人差し指付け根の関節の角度と、この支持点で楽器が滑らないこと。
- 左手指の伸筋の緊張と屈筋の弛緩のタイミングの同期。
- 左手指でキーを押さえる力が強すぎないこと。
- 左手の甲の脱力。
- 左親指の向き。指の腹でキーを押さえるか、左側面で押さえるか。
わずかずつだが、楽器を演奏できる身体になりつつある。
ˆ TOP2006-06-11
アマチュアのこころがけ
音楽は、演奏する人と聞く人が存在しないと成立しない芸術なので、アマチュアも勉強を進める上で、人前で演奏を披露する機会が必要だ。しかし、音楽性や演奏技術に劣るアマチュアが、おこがましくも多くの方々に演奏を聴いていただくのだから、そこには真摯な努力と謙虚さが欠かせない。それには以下に述べる理由により、プロの教えを請い、自分の演奏をチェックしてもらうプロセスが必須だと考える。
アマチュアは、
- 音楽性
- 演奏技術
- 客観的に自分の演奏を評価する能力
のいずれの点でも、逆立ちしてもプロに及ばない。すると、以下のような問題点にぶつかる。
- 音楽性が十分でないので、その曲をどのように表現すべきか、曲のあるべき姿が分からない。
- 演奏技術が十分でないので、思ったような演奏ができない。
- 客観的に自分の演奏を評価する能力が十分でないので、「その曲のあるべき姿=理想」と「現在の自分の演奏=現実」の乖離(ギャップ)が理解できない。何がどうダメか分からず、正しく修正ができない。
どうがんばっても力が不足していることが明らかなのに、自分なりの考えだけに努力を留めてしまうことは「自己満足」に他ならない。自己満足の演奏をお客さんや共演者に押し付けるのは、傲慢不遜の誹りを免れない。当人は満足だろうが、お客さんや共演者に対して甚だ礼を失することとなる。
これらの能力が不十分であるアマチュアが、自己満足に埋没することなく、自信を持ってお客さんに聞いていただくに足る演奏をするにはどうすればよいのだろう。私の考えるほとんど唯一の可能な方法は、プロの指導を仰ぎ正しい方向性で真摯に努力することと、プロの客観的な眼による評価を経て「人前で披露してよろしい」とのお墨付きを頂戴することだ。
プロとは、音楽と演奏の伝統を受け継いだ深い音楽性と、卓越した演奏技術を持っている人のことをいう。プロの教えを請うことで、自分に不足している音楽性と演奏技術を補っていただくことができる。またその曲のあるべき姿と自分の演奏の差を客観的な眼でチェックしてもらうことで、初めて自己満足を卒業し、お客さんにお聞かせして恥ずかしくないレベルに到達できる。
ˆ TOP2006-03-12
ジャック・ニクラウスのお言葉
日経の「私の履歴書」に先月、ジャック・ニクラウスの随筆が掲載されていた。その中に示唆に富んだ、しかしなかなか耳の痛いご意見があったので紹介しよう。
「良いゴルフコーチの条件とは何だろう。私なら、こう定義する。すなわち、生徒に『どのようにすべきか(How)』ではなく、『なぜそうなるのか(Why)』を教えられること。逆に、悪いコーチにありがちなのは自分と同じスイングを押し付けることだ。」
私は氏の言葉に、コーチングの普遍性という観点で大いに共感する。How-Toの積み重ねだけでは、先生からの教えを含めた過去の経験の範囲でしか対応ができない。Whyが理解されることにより、様々な局面に適応するための応用力が生まれる。つまりは、Whyの理解により、Howが普遍性を持つのだ。
スポーツのレッスンのことは実のところよく知らないのだが、振り返って、フルートのレッスンはどうだろう。音楽のレッスンの過程においては、Howを教えることの比重が極めて高い。演奏は、言わばHowの集積のようなものだ。しかしWhyを知らないと、身に付けたHowを何時どのように適用するのか判断を誤り、時に、とても恥ずかしい思いをすることもある。
また、Whyの理解により初めて普遍性が生まれると述べた。Whyが腑に落ちることにより、初めてその知識を次の世代に教えることが可能になると思う。
ˆ TOP2006-02-25
「ヘンな癖を付けないように」というけれど…
「ヘンな癖を付けないように、最初から正しい吹き方を身に着けましょう」というような表現が、フルートの初級者向けの教本などに散見される。多分フルートだけではなく、他の楽器やスポーツなどでも行われる指導ではないかと思われる。私も以前はこの意見に違和感を覚えなかった。
しかし今では、正しい吹き方ができないのが初級者なんじゃないの?と疑念を抱くようになってしまった。せいぜい、「最初から正しい吹き方を身に着けられて変な癖が付かなければ、大変理想的ですね」といったところが適切なのではないのか?
普段の生活には必要ないが楽器を演奏する際に必要となる筋肉や神経があるわけだが、今まで使っていないからそれらが未発達だったり、休眠状態になっているのが初級者の段階だ。その段階で例えば正しいフィンガリングを試みたとして、たとえどんなに遅いテンポでも理想的な手の形と動作ができたなら、むしろその人は非常に幸運だと言うべきだ。
私はある特定のフィンガリングについては、どんなに遅いテンポにしても、まるで手が麻痺したかのように動かない状況を永らく経験している。ともすると、如何に念じても指がぴくりとも動かないことすらある。そういったとき、無理に指を動かそうとすれば、理想とは程遠い手の形と動作に陥ってしまう。上記の伝から言えば、その動作を繰り返せば、その形で動作が身に付いてしまうから危険だ、ということになる。
この状態が理想的でないことは重々承知している。でも、たとえ理想から程遠い吹き方だったとしても、私はその時点ではそれしかできないんだ。ならば、それで吹くしかないじゃないか。
今、いい吹き方をしていないな、調子が悪いな、と思っても、無理にでも吹く。良い動きはしていなくても、吹く。とりあえず今動かせる筋肉を活用しているうちに、その筋肉やそれを制御する神経系の周辺の、今まで動かせなかった部分も徐々に目覚めてくる。そうして、わずかでも手の動きの自由度が増したら、少しずつでも理想に近づけるように意識を働かせながら、訓練を繰り返すしかない、のだと思う。
ˆ TOP2006-01-11
小指伸筋
左4指を持ち上げる運指、例えば低中音のG-AやD-Aの動作に際し、4指がキーを押さえている(すなわちGやDを吹いている)ときの5指の位置が、次の4指の速やかな伸展動作のために重要だと思う。
まず、小指伸筋が緊張していない状態だと5指の位置が降りてきて、キーを押さえている4指の隣に添えられているような状態になる。これだと、4指を持ち上げる際に、4指の浅指屈筋の弛緩と総指伸筋・小指伸筋の緊張が同時に作用する必要があり、ダブルアクションになる恐れがある。
また、中手指節間(指の付け根の)関節が手の甲側に曲がるような形で5指が持ち上げていると、指の末節を曲げる深指屈筋が働き、5指はカギ型に曲がった形で持ち上げられる。4指も5指と同じような形に持ち上がろうとするため、効率のよい動作ができない。
そこで、GやDを吹いているときには、5指は小指伸筋が緊張し指の中節を曲げる浅指屈筋・指の末節を曲げる深指屈筋ともに弛緩した、指が素直に伸びた形で持ち上げられた状態を保つ形が理想的だと思う。
ˆ TOP2006-01-09
パソコンデスク
正月休みが明けて仕事に復帰して数日が経過したが、休み中の好調はどこへやら、またしても左手が制御不能。しかし、この数日の変化を追ってみると、大体原因が分かった。それは、事務机とPC。
オフィスの事務机にノートPCやキーボードを置いて作業している方って、多いと思う。私もその一人だ。しかし、事務机はキーボード操作に全く適していない。
まず、前腕をデスクにあずけるようにしようとすると、肘を前に出すために上体は前傾せざるを得ず、重い頭を支えるためには背筋に負荷が掛かる。
また、デスクの天板の下には引き出しが備えられているのが標準で、天板に引き出しの厚さを加えると13cmにもなる。椅子に掛けた状態で腕を自然に下ろして前腕を水平を保つようにすると、楽な高さはせいぜい太ももの3〜8cmの範囲である。ということは、太ももが引き出しの裏に当たるまで椅子を上げたとしても、腕は自然な位置より更に5cm以上高く持ち上げられなくてはならないことになる。そのため上腕から肩に掛けて常に緊張を強いられる。
パソコンデスクのキーボードを置く天板は、みな20mm以下と薄くなっていて理想的なようだが、これにも大きな問題がある。なんといっても、天板が小さすぎる。本当にキーボードとマウスを並べて使うことを前提に設計されているのか、不審に思うほどだ。ましてや、A4ノートを置いたら、奥行きが狭すぎる。
現在、これらの問題を解消するデスクを作ることを計画しているのだが、肘掛け椅子の方が手っ取り早いかな。早く何とかしないと、折角のいい感覚が壊れてしまう。
ˆ TOP2005-12-22
娘の初舞台
先月上旬、下の娘がピアノの発表会で初舞台を踏んだ。
上の娘の初舞台の時は上がるような様子もなく子供の特権だなと思っていたものだが、次女は長女の舞台をいつも見ているせいか、こちらの想像以上に緊張していたようで、普段心配のないところで止まってしまった。
どんな顔で出てくるか、あっけらかんとした顔で出てくるのでは、と楽屋口の廊下で待っていると、ちっとも出てこない。舞台袖を覗いてみると、大泣きしている娘の姿があった。
怖いもの知らずの内に舞台での成功の快感を味わわせてやりたかったという気持ちもあるが、失敗して悔しくて大泣きする姿にむしろ安心した。失敗してヘラヘラ笑っているようでは、幼いとはいえ、そこまでの人間だ。
娘たちも、この世界に足を踏み込んでしまったんだなぁ。がんばれ。父もがんばる。

